東京で、世界に挑む。
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トップアスリート特別対談 為末大 × 木村敬一

取材・撮影:新豊洲Brilliaランニングスタジアム

パラリンピック競技大会での自身初の金メダルに向け、
単身で米国ボルティモアに練習拠点を移した木村敬一選手。
そして、スポーツや社会など幅広い視点で提言し続ける為末大氏が、
東京2020大会を前に本音で語り合った。

為末大Dai Tamesue

1976年、広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初めてのメダル獲得者にして、400mハードル日本記録保持者。オリンピックはシドニー2000大会、アテネ2004大会、北京2008大会に3連続で出場。現在は、株式会社侍の代表、新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長の他、スポーツと社会、教育、研究に関する幅広い活動を行っている。

木村敬一Keiichi Kimura

1990年、滋賀県生まれ。2歳の時に先天性疾患から全盲になり、小学生から水泳を始める。パラリンピックには北京2008大会に初出場。ロンドン2012大会、リオデジャネイロ2016大会では銀メダル、銅メダル※を獲得するなど、数々の世界大会で優秀な成績を残し、国内外から大きな期待が集まる日本パラ水泳のエース。

  • ※1 ロンドン2012年大会
    水泳-100m 平泳ぎ(SB11) 銀メダル、
    100m バタフライ(S11) 銅メダル
  • ※2 リオデジャネイロ2012年大会
    水泳-50m 自由形(S11) 銀メダル、100m 自由形(S11) 銅メダル、100m 平泳ぎ(SB11) 銅メダル、100m バタフライ(S11) 銀メダル

新しい世界を求めて

為末
ボルティモアに練習の拠点を移したのは昨夏でしたね。米国にはどうして?
木村
前回のリオ2016大会は、それまですごく頑張ったつもりでいたのに、金メダルには手が届きませんでした。日本のパラスポーツ環境もすごく良くなってはいるのですが、これまでと同じ練習の繰り返しではリオ以上の力を発揮する自信がなかった。新しい刺激を注入することで、自身を追い込んでみたかった。新しい世界が広がることに期待したというのが本音です。
為末
やはり、違いを感じましたか?

木村
持久力を高めようとするとき、日本では長い距離を何度も泳ぐのが普通ですが、米国だと短い距離を全力で泳いで、ひたすら心拍数を上げるようなトレーニングが多いですね。
為末
ぼくも米国に行きましたが、陸上も同じで、いきなり全力モードに入る印象でした。日本のやり方がすべてじゃないんだと思いましたね。山の頂上に続く登山道があって、その道しかないと思っていたのに、周りを見渡してみたら別の道を登っている人がいる。「あ、そっちからも登れるんだ」と初めて知らされた気分(笑)。同じやり方を続ける中でいつの間にか、頂上を目指すことじゃなく、その道を歩くこと自体が目的になっていたようなところがあったかもしれません。日本と違って困ることは?
木村
やはり言葉の壁ですね。練習時も相当な集中力が必要になります。語学学校に通っているんですが、前日よりも長く会話ができたときは、「やった、昨日よりは戦えたな」と(笑)。

一度は駒になってみる

為末
コーチは2人のパラリンピックの金メダリストを輩出したブライアン・レフラー氏ですね。コーチの言うとおりに泳いでいれば速くなるのかもしれませんが、それだと選手の主体性がないという気もします。日本のスポーツ界でも行き過ぎたコーチングの問題が指摘されていますが、そのあたりのバランスはどう考えていますか?
木村
最初は自分の主体性にあえてふたをして、駒になる段階があってもいいんだと思います。その後、自分なりの水泳観やトレーニング観といった軸ができてきた時に、新しい情報を仕入れてみたり、コーチとディスカッションしたりして、自分らしいスタイルを模索します。結局のところ、コーチが持っている技術以上のものが得られなければ強くなれませんからね。

失うもののない強さ

木村
ぼくにコーチのブライアンを紹介してくれたのは、ロンドン2012大会、リオ2016大会で金メダルをとった全盲のパラ水泳選手のブラッドリー・スナイダーです。彼は元米軍海兵隊員で、爆破によって視力を失ってしまったんです。彼はSEALsという特殊部隊にいたというので、その関係の本を読んでみたところ、彼らは訓練一つとっても命がけ。生死を賭けた世界を生きているので、メンタルも自ずと図太くなるんだなと思いました。
為末
日本の選手は、文化的背景の違いなのか、メンタルトレーニングは苦手という印象があります。選手を簡単に弱くする方法というのが昔からあって、それは、「絶対失敗するなよ、絶対失敗するなよ」と言い続けること(笑)。負けたくないと思えば思うほど体がこわばってしまう。
木村
ロンドン2012大会では、序盤のレース運びがうまくいかなくて、もう荷物をまとめて帰国準備をしなきゃと考えていたんですよ。ところがもう失うものはないと吹っ切れた途端にいい記録が出た。気負いのない状態が良かったんだと思っています。

自分を見つめて深くなる

為末
ところで米国にはつてがあったんですか?
木村
最大のライバル、スナイダー選手と同じトレーニングをしたくて、Facebookで連絡してみたら返信してくれたのがきっかけです。
為末
インターネットやSNSはスポーツにも大きな影響を与えていますね。ぼくの時代は海外に遠征したら最後、日本とは連絡がつきにくく、良くも悪くも遮断状態でした。

木村
いいこともあるんですか?
為末
孤立しているからベクトルが自分に向かわざるを得ないんですよ。なぜ自分は走るのか、みたいなことを時間をかけて考えるわけです。情報にあふれた今の時代のアスリートは「賢い」、昔のアスリートは「深い」という印象がぼくにはあるんです。

みんなの心に響かせたい

為末
社会におけるアスリートの役割はどんなことだと思いますか?
木村
単純に、速いとか、強いということだけでも人の心に直接的に訴えかけることができると思うんです。それは悲しんでいる人の心や、辛い人の心にも何かしら響かせることができると信じています。そしてぼくは目が見えないけれど、これだけのことができる。自分も何かできる、もっとできる、そう思ってもらえたらうれしいです。
為末
ぼくは、パラリンピックは人間の可能性を示す場所だと思っているんです。障がい者スポーツを観戦したことがある人なら分かると思いますが、人間がある種の能力をここまで先鋭化できるということに驚き、感動するはずです。
木村選手はリオ2016大会で、銀2、銅2と日本人最多のメダルを獲得! Rio 2016 Paralympic Games 木村敬一 写真協力:フォトサービスワン

多様性を楽しむ社会へ

木村
ぼくの障がいは先天的なものだからか、日常的にダイバーシティについて考える機会は少なかったのですが、会社が共生社会に向けた取り組みを推進していることが、考えたり、時にはメッセージを発信するきっかけになっています。
為末
東京ガスさんはインフラを持つ会社であるせいか、責任感とか生活に密着したイメージがありますね。そんな企業が、生活とは何か、幸せとは何かを深く考え、「こういう社会ってどうでしょう?」って提案してくれるのはすごくいいことだと思います。
ダイバーシティが実現した共生社会というのは、実は誰も違いを意識していない、みんなが居心地のいい世界。だから、木村選手もありのままに生きて、他愛のないことも含めてどんどんメッセージを発信してほしい。そこに共感が寄せられることで多様性のある社会ができあがっていくんだと思います。
木村
はい。ぼく自身は東京2020大会で人生最高のパフォーマンスを発揮したいと考えています。皆さんにはぜひ会場に足を運んでいただき、興奮や熱気を肌で感じてもらえたらと思います。
頑張る人に、いいエネルギーを。